古備前の像2体|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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古備前の像2体

備前焼は、豊臣秀吉の時代に朝鮮から釉薬陶や磁器製造の技術が伝わり、各焼物の産地が釉薬物へと転向する中、摺り鉢、甕、壷、徳利と茶華器では日本一の品質と生産量を誇っていたことや、原土の収縮が大きいことから、釉薬陶へは転換しませんでした。
しかし、この選択は、備前の人気を落し、次第に釉薬陶に奪われていきました。そして苦難の末作り出したのが、江戸初期からの「細工物」でした。江戸中期からは備前の中心品種となり、江戸時代後期の寛政年間(1789~1801年)から型作りの大型宮獅子が盛んに作られ、全国に広まりました。
備前焼の紀年銘細工物は、元和5(1619)年の「釣灯籠」、狛犬では備前市木谷、天神社にある貞亨3(1686)年の像(岡山県指定文化財)が最古とされていましたが、平成8年に備前市の備前焼紀年銘土型調査委員会メンバーの備前焼研究家目賀道明氏により、高倉神社の狛犬は備前で作られたものではありませんが、備前焼陶工が手掛けた紀年銘の細工物では最も古いものであると確認されています。
また、高倉神社の狛犬は型を使っておらず、同じく手びねりの天神社の狛犬が細工の精密な手慣れた仕事なのに対し稚拙であり、原始美術に通じる素朴で土俗的な表現が、備前で作られた狛犬とは際立った相違をみせています。
江戸時代に「安久焼」と呼ばれる焼きものがこの地方にあったことは、農山村や漁村部に残る生活雑器の焼きものの名によって知られていました。この狛犬のへら書きから、その焼きものを焼く窯が安久村につくられ、そのつくりはじめは、備前の国から来た工人によったものであり、その初窯の狛犬が、高倉神社に納められたのは、窯が築かれた場所が、高倉神社の氏子圏内の村であったことを示しています。
この安久の地名から、安久焼の窯のあった場所は、上安久、下安久の地域であろうとみられ、この窯跡の推定地は、日星高校裏の山麓とされてきました。しかし、平成の時代になって、偶然の機会から、その窯跡と明確にいえる遺跡が発見されました。
平成2年から4年にかけて、東西吉原区の下水道改修工事が行われました。このとき、住宅地の中央部に位置する「春高稲荷神社」周辺の下水工事によって陶器片が数多く出土し、平成4年には、神社の境内が調査されました。
社務所前の東半分と上段の大師堂南西の工事現場からは、あきらかに窯が築かれていたものとみられる焼土、窯体(窯本体の部分)と、数多くの摺り鉢、壷などの陶器片が発見されました。
2010年2月9日放送|開運 なんでも鑑定団「in 岡山・西大寺」
古備前の像 2体
●古備前の像 2体
●鑑定士(大熊敏之)の出した金額:\2,500,000
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