前田青邨の絵の価値|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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前田青邨の絵の価値

廃車
前田青邨
燕子花
明治から昭和に掛けて洋風化の波が押し寄せ、美術界においても混迷と試行錯誤のなかにあって、新しい日本画の確立に功績を残した画家、『前田青邨』を今回は取り上げてみました。といっても、前回、前々回の安田靫彦、小林古径とともに院展の三羽烏と云われ、経歴的にはかなり三人とも似通ったところが多いのですが、冒頭に掲げた『洞窟の頼朝』のように歴史画・武者絵を得意としていました。
この作品、重要文化財に指定されていますが、伊豆で挙兵した源頼朝が、初戦の石橋山の戦いで大場景親、熊谷直実らの平家に破れ、追っ手を逃れた主従7人が洞窟に身を寄せた場面を描いています。青邨は日本国中を廻って名だたる鎧兜をスケッチしたそうで、「線を鮮やかな彩色で消すという大胆な描写」により赤糸縅の鎧で身を固めた頼朝を中心に、一敗地にまみれながらも逃げ切った7人の侍のいろんな表情を見事に描いています。
7人の侍と云えば、黒沢監督の映画『七人の侍』において、戦国時代の武具の美術考証は青邨がおこなったそうです。青邨は「歴史画といっても、結局は美しいものの創造であり、歴史を借りて自分の夢を描くものだといえましょう」と述べていますが、徹底して研究し調べた考証が、鮮やかな装飾美を描き出した基に確固としてあることは間違いありません。青邨の、のびのびとした筆致や手法は、もちろん歴史画だけでなく、大和絵の伝統を軸にして花鳥画や肖像画などにも幅広く発揮されています。ホントに微塵の隙もないのです!
●前田青邨(せいそん)(1885-1977) 岐阜県中津川市の生まれ
本名は廉造と云いますが、乾物屋を営んでいた父・常吉、母たかの次男として生まれています。前田青邨絵の上手な少年だったそうですが、13歳の時に上京して中学校に入学するのですが、身体をこわして中退し、いちじ帰郷していました。3年後母親が亡くなるのですが、再び上京して叔父の営む東京本郷根津の「東濃館」に身を寄せます。
そして尾崎紅葉の勧めで古経と同じ梶田半古の塾に入るのですが、そこで半古から「青邨」の雅号をもらっています。22歳の時には紅児会に入り、今村紫紅、小林古径、安田靫彦らとともに切磋琢磨の日々を過ごすのですが、26歳の時、下村観山の媒酌で荻江節の家元・初代荻江露章(佐橋章子)の妹・すゑ(荻江露友)と結婚しています。
ちなみに「荻江節」とは18世紀後半長唄から分派し、おもに吉原の廓(くるわ)内で歌われたもので、現在では河東節、一中節、宮薗節そして荻江節を古曲と呼び、伝承する人も少ないそうです。羅馬使節さて、30代は日本美術院評議員に推挙されるなど、それなりに活躍はするのですが、制作活動において、日本画壇にも吹き荒れた洋風化の波は青邨にも大きな影響を与え、迷いと苦悶のなかで描かれた作品は大変不評を極めたそうでした。
しかし、小林古径とともに日本美術院留学生として約1年間渡欧したことが大きな転機となったようです。特にイタリア中世の絵画に接し、アッシジで観たジョットの壁画には大変感銘を受けたと云います。大楠公そして帰国した青邨は、日本画でも西洋画でもない前田青邨として「描きたいものを描く」と心に誓い「線を鮮やかな彩色で消すという大胆な描写」など歴史画をはじめ花鳥画や肖像画へとその画風を完成させてゆきました。「大楠公」は愛馬に跨がり、大鎧に弓矢という出で立ちで凛とした雰囲気を感じさせる大楠公を描いていますが、青邨らしい色彩の鮮やかさ、鮮明なイメージがよく伝わってきます。
水辺春雁その後の日本画壇における青邨の歩みは順調で50歳で帝国美術院会員、59歳で帝室技芸員に推挙され、65歳で文化財保護委員会専門審議会委員に就任に、その翌年には東京芸術大学日本画科主任教授に就任しており、その時助手として指導したのがよき後継者となった「平山郁夫」であったのです。前田青邨 買取
鯉70歳の時には文化勲章を受章するのですが、さらに川合玉堂の後を継いで昭和天皇の皇后であった「香淳皇后」の絵の指導役となっています。皇后から大変信頼されていたそうですが、先生としてはなかなか厳しく、皇后様の差し出された七、八枚の作品に、一枚一枚すべて駄目出しをしたこともあったそうです。
薔薇晩年の青邨は「高松塚古墳壁画模写事業総監修者」に任命され、また法隆寺金堂壁画再現のために安田靫彦とともに総監修に就任し、老齢にもかかわらず実際に自ら古墳の中に入って熱心に指導したそうです。そんな青邨に対して指導された平山郁夫は「もし、先生との出会いがなければ、また私の人生は大きく変わり、今日とは別の道を歩んでいたことだろう」と感謝の気持ちを述べています。
細川ガラシャ婦人像89歳の時ローマ法王庁からバチカン宮殿に納める「細川ガラシア夫人像」作成の依頼がありました。ガラシア夫人は明智光秀の娘で細川忠興の正室となった明智玉子のことです。本能寺の変ののちキリスト教への信仰に目覚めて「ガラシャ」の洗礼名を受け、運命に翻弄されつつも信念を貫いた女性として記憶されています。掲載画像は部分ですが、青邨はこれを完成させてバチカン宮殿に納めています。これが最晩年の作品となりましたが、92歳の長寿を全うして東京にて亡くなっています。
2013年7月9日放送|開運 なんでも鑑定団
前田青邨の絵
●前田青邨の絵
●鑑定士(田中大)の出した金額:\4,500,000
【鑑定士総評】
青邨の絵に間違いない。赤みを帯びた頬、上目遣いの視線といった顔の表現が特徴的。歴史画というのは古臭い題材のようだが、様々な創意工夫をもって青邨独自の人物画を描いている。例えば束帯の下のあたりは垂らし込みのような技法を使ってにじみを出している。江戸期の絵では衣装に垂らし込みの技法を使うという事はなかった。落款では青邨の青という字が若干左に傾いている。戦後になるとこれがまっすぐになるので、依頼品はおそらく戦前、昭和14年前後に描かれたものだろう。
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