ポール・ゴーギャン|デッサン画の価値|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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ポール・ゴーギャン|デッサン画の価値

ポール・ゴーギャン(ゴーガンとも表記する)は、印象派に続いて絵画史の舞台に登場した画家です。あまりにも強烈で自己主張の強い絵を描いたため、絵画史上では特異な存在ですが、今日では、ヴィンゼント・ヴァン・ゴッホと並んで、19世紀末を代表する偉大な画家として認められています。
ポール・ゴーギャンの絵は、油絵が中心であり、水彩画は油絵を完成するための準備作業として描いたものがほとんどですが、中には独立した水彩画作品もいくつか製作しています。ポール・ゴーギャンの絵は、ゴッホ同様あまりにもユニークなため、絵画の歴史上特定の潮流には分類しがたく、ゴーギャン・イズムとでもいうほかはないのですが、その特徴は、遠近法を無視したフラットな画面構成と強烈な色彩感にあります。ゴーギャンほど原色を多用し、豊かな色彩配置にこだわった画家はいないといえましょう。色彩の魔術師というに相応しい画家なのです。
ポール・ゴーギャンは1848年7月パリに生まれました。父親は共和主義者でしたので、1849年にルイ・ナポレオンが帝政を敷くと、ペルーに亡命しました。その船旅の途中父親が死んだため、一家は豊かな親戚を頼って、リマに定住しました。1855年、ゴーギャンの母親は子どもをつれてフランスに戻り、オルレアンに落ち着きます。1865年、ゴーギャンは船乗りになり、南米を中心に世界を旅しました。この時の経験が後に、彼をタヒチに導いたのでしょう。1868年、20歳のときフランス海軍に入りました。ポール・ゴーギャン 買取
普仏戦争後に海軍をやめたゴーギャンは株のブローカーになります。彼はそのときに知り合ったエミール・シュッフェンネッカーとともに絵を始めるようになったのです。1873年には、デンマーク人のメットと結婚し、後に5人の子どもをもうけています。1874年には、ピサロと出会い、後にはセザンヌとも交流しながら絵の修行を続けますが、初期のゴーギャンの絵は後期印象派の影響が強いものでした。だが、彼は次第に印象派を脱却し、単純で強烈な色彩配置やフラットで装飾的な構成を取り入れるようになります。
1883年、ゴーギャンはブローカーを辞めて画業に専念するようになり、1885年には家族をコペンハーゲンにおいて単身パリに住み着きます。ゴーギャンとメットとの仲は、これ以後生涯を通じて険悪なままに終ったといいます。1888年、ゴーギャンはヴィンセント・ヴァン・ゴッホと運命的な出会いをします。ヴィンセントの弟テオは画商をしていましたが、そのテオがゴーギャンを兄に引き合わせたのです。二人は南仏のアルルで共同生活を始めましたが、ゴーギャンはゴッホを好きになれず、二人の関係はわずか2ヶ月で破綻します。精神の錯乱状況に陥ったゴッホが、自分の耳を切り落とすという事件を起こしたのです。気味が悪くなったゴーギャンはゴッホのもとを去りました。
1891年、ゴーギャンはタヒチに旅行しました。ここで自伝的な作品「ノア・ノア」の執筆をしますが、「うつ」に陥り、1893年にはパリに戻っています。しかし、タヒチで製作した絵は、パリでは多くの買い手を見出しました。1894年にコペンハーゲンの家族と最後の別れをしたゴーギャンは、翌年の1885年再びタヒチに旅立ち、2度とフランスに戻ることはありませんでした。
晩年のゴーギャンは、梅毒に犯され健康が次第に悪化しました。また「うつ」の症状もひどく、1898年には自殺を図っています。反面、創作のほうはいよいよ円熟を増し、1897年には畢生の大作「われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処へ行くのか」(139×375cm)を描いています。1901年、ゴーギャンはタヒチからドミニク諸島のアトゥアナに移りました。
1903年、ゴーギャンは植民地当局と衝突し、3ヶ月の懲役という判決を受けました。原因は宗教上のトラブルにあったようです。だがゴーギャンは、入牢する直前に死亡しました。経歴から読み取れるように、ポール・ゴーギャンの生涯は波乱に富んだものであり、また、妻やゴッホとの関係から伺われるように、特異な人格を感じさせます。どうみても、友人として付き合うには気の進む人物とはいえないようです。だがその作品は、絵画史上に燦然と輝くすばらしいものです。
2012年11月13日放送|開運 なんでも鑑定団
ポール・ゴーギャンのデッサン画
●ポール・ゴーギャンのデッサン画
●鑑定士(永井龍之介)の出した金額:\5,000,000
【鑑定士総評】
二十数年前にサザビーズのオークションに出た物。ゴーギャンといえばタヒチだが、依頼品はまさにタヒチの女性を描いている。1891-1892と書かれているが、40歳を過ぎてヨーロッパの文明社会に背を向けタヒチに滞在していた時期に当たる。裏側にはタヒチの自然の情景が描かれているが、フランス語で「雲」「青」などと書かれているのは、その部分に雲を描いたり青で塗ったりしようとした下絵なのだろう。これをもとに描かれた油絵があるはずで、そういう意味では資料的価値のある作品。
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