屏風六曲一双|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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屏風六曲一双

お宝森蘭斎の屏風六曲一双の押絵貼屏風。花鳥や人物などいかにも南蘋派らしい写実的な描写で描かれている。森蘭斎(もりらんさい・1740-1801)は、南蘋派の絵師・熊代熊斐(くましろゆうひ)の一番弟子で、絵を生業とする一方で医者でもあったといわれる異色の経歴の持ち主である。
江戸時代中期、古画ではない新しい中国の絵、またはその画風に倣った絵が「唐画」と呼ばれ流行した。現在の美術史の用語では南蘋派・南蘋風、南画などが相当する。唐画(絵)は平安時代にはやまと絵に対する語として用いられ、当時は題材による区分であった。
中世には主題と様式が結びついた語として用いられた。唐画と呼ばれたのは江戸時代中期、経済の発展に伴う絵画需要の高まりもあって続々現れた新しい画派であった。
唐画は西洋と中国の影響が重なり合う江戸時代中期絵画の中で成立した。中国の影響としては、新しい禅宗として伝わった黄檗宗が画像を持ち込み、黄檗絵画が描かれるようになった。長崎に招かれた隠元隆琦は寛文元年(1661)京都宇治に黄檗山萬福寺の基礎を建立した。
喜多元規が描く黄檗僧の肖像画は隈取による陰影表現を取り入れており、中国を経由した西洋の影響でもあった。黄檗僧の余技的な水墨画は南画に影響を与えている。唐画が盛んにおこなわれる土台が黄檗絵画によって作られた。
享保16年(1731)、中国人画家沈南蘋が長崎に来日し、直接沈南蘋に師事した熊斐を通じて南蘋の写実的な画風は日本全国に広まっていった。南蘋の影響を受けた画風を南蘋風、南蘋風の絵を主に描いた画家を南蘋派と呼ぶ。
南蘋風の流行にやや先立ち、黄檗絵画の影響も受けつつ、中国の文人画の画風を取り入れた日本の文人画、南画が起こっている。南画とは南宗画の略で明治期以降に盛んに用いられる語で、当時は文人画、南宗画と呼ばれていた。
初期南画家、祗園南海は、黄檗画僧である蘭渓若芝に学んだ。南蘋派と南画は江戸時代中期にほぼ同時代の中国の影響を受けて成立したという点が共通する。江戸でも京都でも、そして大坂でも、現在の南蘋派・南蘋風と南画は合わせて唐画と呼ばれていた。同じころ中国を愛好する共通の文化基盤の上で唐様の書も行われていた。
2014年7月29日放送 |開運 なんでも鑑定団
森蘭斎の屏風
●森蘭斎の屏風
●鑑定士(安河内眞美)の出した金額:\3,500,000
【鑑定士総評】
この20年くらい、沈南蘋派(長崎派)が大変注目されてきており、森蘭斎はその中でも最も忠実に継いでいる絵師。六曲一双ということで、花鳥画に限らず様々な絵をこれだけ描けるという力量を見せつけている作品。南蘋派の研究資料という点で評価が高い。鷺の絵などは「一路功名図」と呼ばれ出世の意味があり、兎の絵は多産で子孫繁栄を意味する。孫の将来を祝う良い吉祥画題ではある。
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