高村光雲観音像の魅力|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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高村光雲観音像の魅力

高村光雲といえば、先ず『光雲懐古談』である。昭和四年(1929)に初版が刊行された本書は、刊行当初から版を重ねる売れ行きを見せたが、その後も書名に一部変更が加えられながら、現在に至るまで四度にわたって復刻され、多くの人々によって読みつがれてきた。
光雲の長男として生まれた光太郎にとって、子どもの頃から木彫の修練を続け、父と同じ彫刻の道に進むことは当然のことであった。東京美術学校を卒業後、雑誌『ステュディオ』でロダンの《考える人》
を見て衝撃を受け、両親の支援で渡米してニューヨークで両親を懐かしんで涙した光太郎であったが、人間として芸術家として様々な体験を積んだパリ滞在を経て帰国した後には、「親と子は実際講和の出来ない戦闘を続けなければならない」
と書き記し、父と同じ道に進んだが故に、光雲に対して複雑な思いを抱くようになった。そうした光太郎による光雲評には、光雲が体現していた前近代的在り方への意識的な抵抗が基調として流れている。
高村規氏が伝えるように、日常生活では友好的な親子であり続けた光雲と光太郎ではあったが、父光雲の彫刻家としての在り方は、「彫刻家」高村光太郎の理想からはほど遠いものであった。
高村光太郎が見る光雲は、「結局父光雲は一個の、徳川末期明治初期にかけての典型的な職人であつた。いはゆる〈木彫師(きぼりし)〉であった。もつと狭くいへば〈佛師屋(ぶしや)〉であつた」(「父との関係」)ということになる。
また、美術史上の光雲は「明治初期の衰退期に彫刻の技術面(傍点)に於ける本質を、父の職人気質が頑固に守り通して、どうやらその絶滅を防いだことになる。彫刻の技術上の本質については無意識のうちに父は傳統の橋となった」という。
さらに、光太郎は「父の作品には大したものはなかつた。すべて職人的、佛師屋的で、又江戸的であつた」と述べ、芸術家たる自身の対極に父光雲があったことを言葉を変えて幾度も述べている。
光雲の「鬼っ子」「不肖の子」を自認しながら、それでも言葉に尽くせぬ愛情を受けてきた光太郎によるこうした見解は、両人の様々な葛藤の後、光雲がこの世を去って10年以上の歳月が流れた晩年に記された一種の総括であった。
光太郎は父光雲に対する深い尊敬と愛情を内に秘めながらも、一方で父の在り方を受け入れることができないという複雑な思いを抱いていたと弟豊周は記しているが、そうした他人には窺い知れない背景と光太郎が芸術家の個性を何よりも重視する近代的芸術観の体現者であったことを考慮すれば、光雲に対する彼の評価や見方をそのまま鵜呑みにすることは危険を伴うというべきであろう。高村光雲 買取
2010年4月6日放送|開運 なんでも鑑定団「in 滋賀県彦根」
高村光雲作 観音像
●高村光雲作 観音像
●鑑定士(大熊敏之)の出した金額:\700,000
【高村光雲総評】
江戸時代以前には、彫刻だけでなく絵画等でもこうしたことは当然のこととして、研究者は個人制作と工房制作との峻別に研究者は精力を注ぐのだが、作家個人の存在が確立したいわゆる近代作家と光雲を位置づけて研究しようとすると、工房制作・共同制作の問題の前で大きな違和感を私たちは感ぜざるをえない。
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