竹久夢二と東郷青児|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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竹久夢二と東郷青児

大正3年(1914)。つめたい北風が吹きすさぶような、孤独な晩年でした。夢二はすでに売れっ子の絵描きで、妻たまきを「港屋」にすえ自作品やそれを印刷した絵葉書をブロマイドのように販売していました。
そこへ出入りしていた青年がある日連れ立ってきたのが、友人の東郷青児でした。青児は当時、青山学院中等部を卒業したばかりの17歳。洋画 買取
この2人のあいだに夢二の妻たまきをめぐって痴情のもつれがあったことは、あまり知られていませんね。一時期のことなので、それも無理からぬ話ではありますが、......でも確かに。
夢二は地方で作品展をひらくことが多く不在なことが度々あったので、いつしか青児が港屋の2階で夢二画を代筆するようになり、やがてたまきの「若いツバメ」のような関係になっていきました。
それを嗅ぎつけた夢二が、地方展の予定を急遽変更して夜中に帰宅してみると、たまきと青児は情事の真っ最中。血がのぼった夢二は、そばに置いてあった木刀(あるいはバット)を握り、2人に襲いかかりました。
仰天した青児は、脱いだ衣類をがばっと鷲づかみにするや、素っ裸のまま窓から飛び降り、夜道を遁走。息も白い真冬の出来事。それ以来青児は港屋に寄りつくことはなかったようです。
その後東郷青児は、ヨーロッパから帰朝したばかりの山田耕筰に知遇を得て、キュビスムから、絵画の世界にすすんでいくことに。独学時代に描いた「自画像」や「コントラバスを弾く」などがそのころの作品で、まもなく、本格的に絵を学ぶためフランスへと旅立ちます。
7年間の渡仏中は、殺しと男娼以外は何でもやったというくらいいろんな職で食い繋いでいます。のちに二科会を乗っ取る「屈強な素地」は、こんなところでも培われていたのかも......。
いっぽう夢二も決して順調にはいかず、新境地を拓くべくヨーロッパ・アメリカを放浪するも、実を結びませんでした。愛人・彦乃を失い、宵待草風のモデルお葉とも別れ、晩年、長野奥のサナトリュウムで息を引き取ったとき、傍にいたのは元・妻のたまきただ一人。東郷青児作品はコチラよりご確認下さい。
  • 黒船屋竹久夢二
    黒船屋
  • 雪の風竹久夢二
    雪の風
  • 野分竹久夢二
    野分
●竹久夢二の生涯

数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正浪漫を代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。
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