熊谷守一の瀬戸の窯で焼かれた焼物|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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熊谷守一の瀬戸の窯で焼かれた焼物

40代のある日、図書館でアサヒグラフ別冊の美術特集シリーズを眺めていたら、そのなかに熊谷守一の画集があった。彼が文化勲章を辞退したことを聞き知っていたので、抜き出してページを開いてみた。
それまでに、彼の作品を見たことがなかったからだ。そもそも「非接触型の交流」というのは、大体、このようにして始まるのである。画集を開いたら、抽象画なのか具象画なのか、あるいは日本画なのか洋画なのか、真面目なのか不真面目なのか、見当がつきかねる奇妙な絵がならんでいた。
それらの絵には、訳が分からぬなりに、不思議な魅力があって印象に残ったが、見終わってから、所詮これらは「格外」の作品で、現代絵画の主流にはなり得ないという気もした。
彼の生き方も作品と同様に破格だった。彼は東京美術学校に学んで、青木繁と同窓だったという。才能の点では青木にまさるといわれ、美術学校を首席で卒業し、文展にも入賞している。その彼が、画家としての華やかな未来をなげうって、いきなり故郷の岐阜県付知町に引っ込んでしまうのである。そして、筏流しの労働を6年間続けている。
36歳、彼は友人に促されて上京し、東京で画家としての生活を再開する。画家として名声を得てからも、熊谷守一の「画学生」風の飾らない生き方は変わらなかった。彼は30年間、庭の草木や昆虫を友として、ほとんど家から出たことがなかった。
彼の生活は、庭のいきものを観察することと、画業を深めることだけで成り立っていたのだった。私は、その本に紹介されているいくつものエピソードに引きつけられた。熊谷守一 買取
「学校に行く」と言って彼が画室に向かう話や、「五風十雨」を座右銘にしているというエピソードなどである。「五風十雨」というのは、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降るという中国の諺なのだ。熊谷守一は、こうした自然現象に仮託して、定期的に訪れてくる人生的な苦難を逆らわずに受け入れていたのである。
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2014年5月27日放送|開運 なんでも鑑定団
熊谷守一の墨彩画・焼物
●熊谷守一の墨彩画・焼物
●鑑定士(田中大)の出した金額:\3,000,000
【鑑定士総評】
熊谷は東京美術学校入学前に日本画の手ほどきを受け、昭和12年ごろから再び依頼品のような日本画を描き始める。鯰の色紙(60万円)は輪郭を太い墨の線で描いているが、この線が後の油絵の画面を構成するときに役立った。そのため日本画家としても熊谷の評価は非常に高い。瓜の色紙(80万円)ではゆっくりと線を描いており、何の変哲もない内容ではあるが、そうした子供のような単純さが熊谷の魅力でもある。掛軸(80万円)は洋画家・横井礼以との合作。横井が描いた木の枝はつつましく描かれているが、熊谷が描いた小鳥は無邪気で、二人の感覚の違いがよく表れていて資料的にも価値が高い。鉢には達磨が描かれており、熊谷が人物を描くのはわりと珍しい。熊谷は昭和16年くらいから瀬戸の窯で焼かれた焼物に絵付けをしている。依頼品は昭和10年代後半の作品ではないか。
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