川合玉堂と吉川英治の珍品|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
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川合玉堂と吉川英治の珍品

 昭和19(1944)年、70歳の川合玉堂は牛込若宮町(現新宿区)から奥多摩の御岳へ疎開した。翌年自宅が戦火に焼失したこともあって玉堂は昭和32年に83歳で亡くなるまでこの地にとどまり、同36年青梅線御嶽駅近くの河畔に玉堂美術館が建設された。
この美術館を訪ねる人々は、巨岩の乱立する清冽な川の流れやその両側に迫る山並など、玉堂の絵そのままのような自然の風景に出迎えられる。晩年に宗派をたずねられた玉堂は「大自然宗です」と答え、また、岐阜での少年時代は父親と山で景色を眺めながらお菓子や弁当を食べるのが楽しみで、その頃から自然が大好きだったとも述べている。
日本の詩情豊かな自然と、そこで生きる人々の営みを生涯描き続けた川合玉堂(1873-1957)。生誕140年の今年、その全貌に迫る展覧会が開かれている。
玉堂が描くのはいわゆる大自然ではなく、里山のような、自然と人が共存する心温まる世界。田植えにいそしみ、馬とともに峠を越える人々の姿を描いたその絵は、東日本大震災以降さらに多くの人の共感を集めている。
日本人なら誰もが「懐かしい風景」と感じる玉堂の絵。実はそこには、ある工夫が施されている。ありのままの景色を忠実に再現するのではなく、現実の自然や人々の営みを大量にスケッチしたのち、それを改めて再構築し、最高の心象風景を作り上げていったのだ。だからこそ、その絵には普遍的な輝きが宿り、「日本の原風景」として愛されていった。
  • 渓村春色川合玉堂
    渓村春色
  • 猫の恋 画賛川合玉堂
    猫の恋 画賛
  • 疎林細流川合玉堂
    疎林細流
2012年8月14日放送|開運 なんでも鑑定団
川合玉堂と吉川英治の合作
●川合玉堂と吉川英治の合作
●鑑定士(中島誠之助)の出した金額:\350,000
【鑑定士総評】
真筆に間違いない。吉川英治は梅の花を詠んだ万葉集の歌を書いている。吉川は梅が好きで、「梅ちらほら」という随筆の中でこの歌が忘れられないと語っている。特に梅に対して女性の天真爛漫さを感じていたようで、依頼品も万葉集の時代の明るい女性たちと、宴の芸者衆を重ねて書かれたのだろう。歌が梅なので、玉堂は鶯を描いている。玉堂が鶯を描くときの特徴がよく表れている。サインを見ると、「堂」の字の口の部分を楷書で書いている。これは昭和20年代に使われたサインで、玉堂が最も充実していたといわれる時代。依頼品は珍品と言える。
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