児島虎次郎の絵|高額査定を受ける為に知っておきたい事前知識・価値
絵画 買取

児島虎次郎の絵

児島虎次郎論としては、『成羽史話第二集 児島虎次郎評伝』(昭31・成羽町美術館)がある。これは、雑誌等に掲載された論文を集めたもので、虎次郎の恩師藤島武二が「中央美術」に書いた「児島君と其絵」も収められている。
雑誌「高梁川」(高梁川流域連盟)第42号にも、片岡雅志氏が「終わりなき挑戦者、パリ・ガンの児島虎次郎画伯」と題して滞欧時代を論じている。
画集では、『児島虎次郎遺作展覧会目録』(昭11・三角堂)、『第7回郷土作家展 3人の印象派』(昭53・岡山県総合文化センター編)、『大原美術館7  児島虎次郎』(昭57・大原美術館)がある。
彼の作品からは、「戦争に血を流す覚悟」で渡欧し、「使命を帯びた戦士が戦場に剣を磨いて出かけるのと同じ」気持ちで帰国したという彼の絵画へ情念が伝わってくるようである。
児島虎次郎は、1881(明治14)年川上郡下原村(現成羽町)の旅館の次男として生まれた。幼い頃から画才を認められ、20歳の時上京し、東京美術学校に入る。その頃大原孫三郎と出会い、学資援助を受けるようになった。
大原の紹介で石井十次とも知り合い、岡山孤児院を描いた「情けの庭」は宮内庁の買い上げとなり、一躍世に名を広めた。勤勉な性格で、独自のスタイルを模索し続けた彼だったが、志半ばにして病に 倒れ49歳で夭逝(ようせい)した。
そのためか彼は画家としてよりも、大原美術館のコレクションの収集者としてよく知られている。彼自身について書かれたものもそう多くはないが、いくつか紹介してみよう。
 『児島虎次郎略伝』(昭42・児島直平編)は、彼の一生を年代順にまとめた読む年表といった感じのもので、経歴を詳しく知るにはよい資料である。
また、滞欧時代については、虎次郎の長男□一郎(こういちろう)が三十三回忌法要にあたってまとめた『児島虎次郎』 (昭36・児島□一郎編)が詳しい。
虎次郎が朝鮮を訪れた際に、中国民報の依頼を受けて執筆した「支那行」も収録されている。成羽町に美術館が新築された。 安藤忠男氏設計の近代的な建築だが、この美術館の目玉ともいえるコレクションが、町内出身の洋画家、児島虎次郎の絵画である。 児島虎次郎 買取
2011年12月13日放送|開運 なんでも鑑定団
児島虎次郎の絵
●児島虎次郎の絵
●鑑定士(永井龍之介)の出した金額:\5,000,000
【鑑定士総評】
背景に描かれた建物が無為堂という児島のアトリエ。これは大正15年に建てられたもので、雪景色が描かれていることからアトリエを建てた翌年の冬、児島が亡くなる2年前の昭和2年に描かれたものと思われる。大原孫三郎の資金援助で絵を描いていたため、児島の作品は多くが大原美術館に所蔵されており、ほとんど流通することがない。そのため依頼品は大変貴重な物。雪景色をチューブから直接絵具を出して描いているが、当時は大変革新的な表現方法であった。それによって雪に当たる光や陰影といったものが非常に繊細にとらえられている。児島の死後、作品が整理されたときに良い作品には裏にシールが貼られた。依頼品にもそのシールがある。
査定無料お気軽にどうぞ美術品のご売却は、美術品買取専門のアート買取協会へ。6つの強みで安心とご満足をお届け致します。絵画・美術品売却はこちらから無料買取査定フォーム

この情報記事と内容が近い情報記事をご紹介しております

女性ウィッグ 通販

美術品買取の地域|出張無料査定

北海道
|青森|岩手|宮城|秋田|山形|
|福島|茨城|栃木|群馬|山梨|
東京神奈川|埼玉|千葉|
|新潟|長野|富山|石川|福井|
愛知|岐阜|静岡|三重|
大阪|兵庫|京都|滋賀|奈良|和歌山|
|鳥取|島根|岡山|広島|山口|
|徳島|香川|愛媛|高知|
福岡|佐賀|長崎|熊本|大分|宮崎|鹿児島|
|沖縄|